
動物園の人気者といえば、ゾウを上げる人も多いのではないでしょうか。そんなゾウの故郷といえばインドなどのアジアやアフリカといった日本から遠く離れた国々です。
そんな遠い国に住んでいるゾウですが、日本とは意外に深いつながりがあるようです。今回は、日本とゾウの意外なつながりを紹介していきたいと思います。
古代日本はゾウだらけだった

ゾウの先祖はアフリカが起源といわれています。
時代を経るにつれてゾウ達は各地に分布を広げオーストラリアと南極大陸以外にゾウの仲間が生息するような状況になりました。
日本も例外ではなく、氷河期により海水面の変動が起こり地続きになった日本列島に大陸からゾウが渡ってきました。
その後、日本は元通り切り離され島国に戻るのですが残されたゾウ達は独自の進化を遂げます。
大型だったゾウの仲間は日本の餌の少ない環境に適応するために小型化していき、「アケボノゾウ」「ハチオウジゾウ」といった仲間は2メートルほどの大きさだったそうです。
現在のゾウはアジアゾウの小さいものでも2.5メートルはありますので、これらのゾウがかなり小さかったことがわかります。
アケボノゾウ達より前の時代を生きた「ミエゾウ」は3.5メートルほどの大きさだったので日本での進化でかなり小型になりました。
日本に生息していたゾウの中で最もメジャーなのは「ナウマンゾウ」ではないでしょうか。4万年ほど前から日本に生息していたゾウで、日本中に生息をしていたと推測されています。出土したある化石から旧石器時代には人間の狩猟の対象とされており、古代の日本人はナウマンゾウを食べていたようです。
ナウマンゾウは大量に化石が出土した野尻湖をはじめとして日本各地で化石が発掘されており、日本中にナウマンゾウが生息していたことがわかります。
他にも、北海道などではマンモスの化石も発見されており上述のゾウ達も含めて多くのゾウが日本で暮らしていました。
日本では「きさ」とよばれるゾウは天皇にも謁見

日本に住んでいたゾウたちは氷河期に伴う急な環境の変化により絶滅をしてしまいましたが、ゾウは平安時代の人々にも名前を知られている存在でした。平安時代に書かれた辞書の「倭名類聚抄」で紹介をされています。ゾウは「きさ」と紹介されており、象牙の断面がきさ(木目の文)があるためといわれています。
ちなみに万葉集には「昔見し象の小川を今見ればいよよ清けくなりにけるかも」という歌がありますが、動物のゾウとは関係ないようです。
また江戸時代に入った1728年、八代将軍・徳川吉宗にベトナムからゾウが献上されました。
ゾウを長崎から江戸に運ぶ途中、京都に立ち寄った際に異国から来た珍しい動物ということで中御門天皇とその祖父にあたる霊元上皇に謁見する機会が与えられました。
しかし、たとえゾウでも宮中に上がるためにはそれなりに位が必要になります。
苦肉の策として「広南従四位白象」とい階位がゾウに与えられました。
「従四位」は譜代大名の中でも老中につくものや、10万石以上の外様大名が与えられる階位とされています。。
遠い国から来たゾウが日本人にもなついている様子を見て霊元上皇は「情け知るきさの心」という言葉を残しています。
仏教にも強い影響を持つゾウ

日本史をひも解くと仏教は日本の歴史や文化、社会に大きな影響を与えています。仏教を開いた釈迦はインドの人物であり、ゾウは身近な存在だったようで仏教説話の中にもゾウが登場をしています。
特に白いゾウは神聖に扱われ、白いゾウは釈迦の生母であるマヤブニンの夢に現れ釈迦の誕生を予言したほか、釈迦は白いゾウの姿になってマヤブニンの胎内に入りそうです
上記の説話から寺院によっては山門などにゾウが置かれていることがあるのです。
いかがだったでしょうか。
現在は日本から遠く離れた国々に住んでいるゾウですが、有史以前の時代の日本にはゾウの楽園がありました。
ゾウの仲間が絶滅したのちもゾウは日本と縁の深い動物で、日本の文化の中にも確実に息づいているよようです。
そんな歴史を振り返ると動物園のゾウ達もより親しみを持てるのではないでしょうか。